7月21日 土曜日 快晴
この日は1985年 8月12日
日航ジャンボ機墜落事故の現場
群馬県御巣鷹の尾根(高天原山)へ
『いのちを織る会』遺族の皆さんとともに慰霊登山の
ツアーに一人で参加しました。
JR蒲田駅に朝6時集合。
長野県と埼玉県の境、本当に山深いところで、今でこそ整備され道路も登山道もできましたが
山の尾根・・当時は道も何もない、もちろん人も入ることができないところです。
当時の遺族は沢に沿って4時間以上かけて現場まで
登ったそうです。
現在は登山道として整備され、道路・登山口には駐車場・登山道には手すりや階段も作られ
登山口から約1時間(実際にはもっと短く感じられた)
「昇魂之碑」までたどり着きます。
林の中でもかなり暑い。
「昇魂の碑」 当時の上野村 黒沢丈夫村長の書
(崇高雄大な字・・字は人なり)
歌いながら飛ばしたシャボン玉、虹色の泡がたくさん空に昇った・・。
すげの沢
機体の後ろの部分が滑り落ちてきた所。
多くの墓標が立ち並ぶ、生存者4名もここで発見された。
上野村 慰霊塔 ここから直線で10Kmの地点に御巣鷹の尾根がある。
今回は初めてでもあり、ツアーでしたからゆっくりお参りすることもできませんでしたが
33年の時を経て、直接手を合わせる機会を持てたことを感謝しています。
会の代表者・美谷島さんはご夫婦は、とても明るいしっかりした方でした。
1000回以上も登っているそうです。
(美谷島さんは当時9歳の健ちゃんを大阪の親戚に送り出すため、初めて一人で飛行機に乗せました。)
遺族同士が美谷島さんを中心にとても明るく、和気あいあいとして見えました。
ここまで来るには計り知れない悲しさ・苦しさ・後悔・怒り・・想像にもつかない
ことを物凄く積み重ね、共に励まし合って今日までこられたのでしょう。
悲しみは決して消えるわけではありませんが、会の皆さんの笑顔が眩しかったです。
時が経ち、今はJALの人たちと事故を風化させることなく、語り継ぎ、
罪もない多くの人たちの死を無駄にしないためのあらゆることを、
諦めずに日々努力されています。
人はどんなに辛いことでも、時とともにその記憶は薄らいでいくものです。
特に関係者以外は記憶の中にも無くなってしまうでしょう。
33年前は私にも衝撃的なことでしたが、今回実際に強く思い起こしたきっかけは
『沈まぬ太陽』という小説でした。それから8.12連絡会の『茜雲』を読んだことです。
「無事は当たり前ではない 」一つの無事を成し遂げることは当たり前ではなく、
一人一人の
計らい、力によるものが莫大に関わっているのですね。
その逆はたった一人のミス、不注意、故意によるものでも起きてしまうのかもしれません。
次の刹那どうなるかわからない命を深く考えた時間です。
帰りの電車の車窓から綺麗な『茜雲』が見えました。